Wharton MBA 記  ~Carpe diem - 今を生きる~

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2007年 07月 31日

MBAの価値とは

ここ数日、淵源たる疑問が僕の胸の内にある。

“MBAとは何か?”

もちろん、この質問に対するベストな回答はない。なぜなら、MBAを目指すそれぞれの挑戦者にはそれぞれの理由・想いがあるからだ。世界各国から集まった若者は、このMBAという箱を通し、それぞれの夢を実現すべく2年間ひたすらに走る。さりながら、“概して”MBAを目指す人たちの想いは、一つの方向に収束するのが現実であろう。それはMBAを機に“転職”するということだ。学生たちはたとえ数千万の出費があろうとも、その”転職“を夢見てこのアメリカという国へやってくる。そう、それは正にAmerican dream。

さかのぼること、120と余年。事業家のジョセフ・ウォートンの手によってビジネススクールは産声を上げた。ウォートンのスピリットはこうだ。「次世紀を生きる若者たちに、ビジネスで活きる専門的な知識を授けたい。そして各地から集まった若者たちに互いを”鼓舞”できる機会を提供したい」。その想いから生まれたのが世界初のビジネススクール”The Wharton School”である。
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ペンシルベニアで産声を上げたbusiness schoolは、その後紆余曲折はあるも、アメリカを中心に順調に成長していった。その流れる時の中、HBS(Harvard Business School)を始めとし、Case studyに特化していく学校は勢力をつけていくことになる。同じく、現在のCarnegie Mellon University Tepper School of Businessは理論重視のスタイルを強化していった。その構図は現在でも残り、case とtheoryがビジネススクールの支柱となっている。

月日は流れた。ジョセフウォートンも思いにもよらなかったであろう。何を隠そう、現在、世界ではMBA教育に対する批判が非常に多いからである。いくら教科書を教えても所詮real businessには通用しないというのが主な批判の趣旨。確かに、そもそも人を動かしたり、管理したりするmanagement能力とはそもそも学んでできるようなscienceではない。言うなればそれはartに近いはず。いくら僕が絵を学んでも上手くかけないのと同じこと。このことは、MBAを痛烈に批判するヘンリー・ミンツバーグ氏の著書「MBAが会社を滅ぼす」に詳しく記載されている。

では、現実はどうか?MBA教育の問題点が少しずつ露呈しゆく中でも、MBAへの評価が完全に崩れたとは言うには時期尚早であろう。アメリカビジネス界では、未だMBAはいわゆるエリート街道を進むための登竜門となっているのは否定できない事実ではなかろうか。更には、“MBA”を前提に社会が構築されているといっても過言ではないのかもしれない。企業は、より優秀な学生を獲得するために、学校のランキングを重視するようになった。Business week、U.S.NEWS、Financial Timesなどが著名なランキングツールとなっているが、企業としてみれば、その順位を利用すれば、採用の手間(Process)が省けるというわけだ。このトレンドに目をつけたのは、ビジネススクール自体である。ここで考えておきたいのはビジネススクールにとっての名誉とは何かということ。それは卒業生が著名な企業に入社し、社会で名を馳せることにある。となれば、“学校”たちは各々の順位の向上に重きをおくのは言わずもがな。順位を上げるには、より優秀な学生をなんとしても入学させる。優秀な学生を獲得するためにはどうすれば? 簡単なこと、学生が好むであろう“サービス”の質を高めればいいのだ。聞くところによると、とある学校の学生寮は正に高級ホテルだそうだ。いつしか、ビジネススクールは名の如く“ビジネス”を始めるようになったのだ。

滑稽かな、その潮流は決してアメリカだけでの話ではない。現在、日本、中国、シンガポール等々ビジネススクールの創設は年々加速している。そう、学生を対象にしたビジネスが今正にアジアでも烈火のごとく吹き荒れているのだ。学生たちはそんなビジネススクールを魔法の杖の如く、大会社に勤めるための“魔法のツール”と信じるようになった。時代の潮流に翻弄されていることも気づかずに。さて、読者の皆さんはこのことをどう考えるだろうか?

一言ここで申しておく必要がある。それは逆接的ながら、この時代の潮流自体に問題はないということだ。前述のとおり、これは正にビジネス。学生側の需要と学校側の供給が存在し、そこには市場が形成されている。これが市場である限り、僕がとやかく言うことではない。学生も学校も企業もそれでhappyならそれでよいのだ。究極的には、勝手にやればよいのだ。だが、見逃してはいけない現実も存在している。2年に及ぶ徹底した理論武装を経験した若者たちは、“エリート”として世界に散らばっていく。数十年を経て受け継がれた現場のいぶし銀的なknow-howを全く知らずして、学生たちは卒業した学校ランキングだけで評価がされていく。だが結果的には、そういった若者たちは教科書の範囲を超えることはできず、期待されたほど結果をだせないケースが非常に多いと聞く。更には、MBAホルダーほど“使えない”人間が多いそうな。なぜなら、理屈ばかりをこね、頭がカンカチコン(だと思われる)な人間が多いだからだ。だが、とりわけ欧米では”ランキングの魔力”は無視できないほどの影響力があることも事実。もし、このMBA流の社会が更に根を社会に伸ばしたとき、我々の社会はどうなってしまうのか?理論だけしか知らない、若者ものが会社の上層部として跋扈し会社を操っていく。これは、あくまでextremeな場合だが、頭の片隅には置いておきたい“あってほしくない”話ではある。

さて、そもそもなぜ僕はMBAに挑戦しているのか?簡単なこと、MBAが社会的に批判を浴びる一方で、やはり僕はそこに“僕なりの”価値を見出しているからである。「鼓舞し合い、高め合いたい」。究極的にはこの二言に尽きる。 「数千万分の一の可能性。数千万分の一の奇跡。」でも記したが、ここには世界から本当に多くの人間が集まる。そういった仲間たちと2年という時間を通し、語り、鼓舞し合ってゆく事は、僕の人生にとって新たな、且つ、無限の価値となると考えたからだ。逆に言えば、この選択をもし僕がとらなかったら、きっとこれほどまでに多種多様の人種、文化、言語を集中的に体験することはできないに違いない。そう、僕にとってはこの ”opportunity”が全てなのだ。

冒頭に記したが、学生がこのMBAに賭ける想いは千差万別である(あるべき)。上記のことはあくまで僕の視点。大切なのは、これから僕たちが賭ける2年間というものは、決して取り返すことのできない貴重な時間であるということである。そう自分に言い聞かせるべく、今回はあえてこの場を借りた。

2年後、僕が理屈ばかりをこねる、頭カンカチコン野郎になっているのか、それとも世界という大海原で生き抜くだけの力を少しでもつけているかを読者の皆さんに是非証人になっていただきたい。


まっ、その前に今日という日を本気で生きる。
それが大切。

Carpe diem
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by ny_since1999 | 2007-07-31 16:28


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