Wharton MBA 記  ~Carpe diem - 今を生きる~

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2007年 05月 30日

EYES

高鳴る鼓動。
抑えられない興奮。
そして
どこまでも高まる好奇心。

そんな想いが入り混じりつつ今日という朝を迎えるとことになった。

僕は、今日という日を随分と前から楽しみにしていた。
なぜなら、僕は今日、ある男と会うからだ。

昨日の日記にも書いたが出会いとは、やはり“能動”から生まれる。そして幸運にも今日その出会いが実現したのも正にその”能動“がworkしている。

数ヶ月前、とある方に僕はお願いした。「どうしても○×氏に会いたいんだ・・・」。できる限りの、最大限の想いを込めて自分の意志を伝えた。

面会は実現した。

お会いしたのは、売上高○兆□千億円、10万人を超える社員を抱える大企業の社長。夢か幻か・・・そう、僕はチャンスを手に入れたんだ。

僕は、これまで仕事柄、多くの社長にお会いしてきた。中小企業から、大企業まで、本当に多くの社長たちとお会いする機会があった。数字に強い社長、盲目的な夢ばかり語る社長、とぎすまされたプレゼンテーションで、それを聞く全ての人間を圧倒する社長、口下手だが燃える魂を心にしかと持つ社長。世の中には良くも悪くも様々な社長が存在する。

だけど、僕がいつも「すごいな」と思える社長には決まって同じ特徴、同じ法則がある。

それは
“眼光”

僕が尊敬する社長の目は、決まって瞬間的に僕を圧倒する。

今日お会いした社長からはその“目”を久方ぶりに感じることができた。中々出くわすことのできない目だ。言葉じゃない、理屈じゃない。その目の鋭さは、中途半端な言葉の世界を遥かに超越する説得力を僕に与えてくれた。僕は、彼と出会った瞬間、目を合わせた瞬間、全てが見えた。そして同時に表現できない満足感を覚えた。「すげーよ・・・」

社長と話した内容は、ほとんど忘れてしまった。
だけど、あの眼光はしかと僕の中に刻まれた。
往復6時間かけて会いに行った意味があった。

“目で語る”

言葉は要らない

“目で語る”

いつの日か僕もそんな人間に
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by NY_since1999 | 2007-05-30 00:20
2007年 05月 28日

Make it happen

Some people want it to happen,
some wish it would happen,
others make it happen.

ある人は、それが起こってほしいと心に思う。
ある人は、それが起こってほしいと切望する。
だけど
ある人は、それを自ら起こす。


Michael Jordan


今日は仲間たちといい語りを。
その中で友が教えてくれた。

そう、
大切なのは
Make it happen. (起こすこと、実現させること)

Never forget.......
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by NY_since1999 | 2007-05-28 23:02
2007年 05月 27日

出会いは創るもの

土曜日。
前々から約束していたMr.Sとのディナーがついに実現した。僕が誘われた身分なのにこちらからが指定したレストランに遠くから遥々やってきてくれた。本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

Mr.Sとの付き合いは長く、数年にも及ぶ。何事も真摯な姿勢でのぞみ、決して弱音ははかない。誰よりもpureに自分の仕事に対し真正面からぶつかり、常に上を向く男。そんな彼のpurenessは時として多くのことを僕に教えてくれる。彼には夢があるそうな。それは日本の伝統文化を世界に広めること。Mr.S、その夢にかける熱い思いを絶対になくさないで下さい。影ながら応援させてもらいます。now and forever.

僕はこれまで匿名ではあるが、このブログで何人もの知人を紹介してきた。それだけ僕の周りには誇れる人間が多くいる。それは僕の人生における自慢の一つ。そういったすばらしい方々との出会いは決して「偶然」はなく、全て「必然」だと思っている。少し言い方は悪いが、「この人は何か僕に教えてくれる」といった方々との”出会い”は何よりも大切にしてきたし、そういった方々との”出会い”を創るべく多くのactionもおこしてきた。

その意味で、今日は一つ悔やむべきことがある。実は、今日、僕の尊敬する方の講演会があるのだが用事があり行けそうにない。その方と、直接会える場をこれまでずっと探していただけに、非常に残念極まりない。ただ、諦めるわけには行かない。何としても彼とのランチを実現したい。少々案があるので、近日actionをとろうと思う。

出会いとは、「必然」であり「能動」。

そう思ってる。
後日、状況をupdateします。


追伸
Mr.S
一つだけあなたに言いたいことがあります。
「愛とは健全なる熱狂」

自分を信じ、邁進してください。
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by NY_since1999 | 2007-05-27 14:29
2007年 05月 24日

最近の生活

ここ数日、ランチとディナーがほぼ全て埋まっている。

”渡米する前に食事を!”

という温かい言葉を本当に多くの方々からいただいているからだ。自分ってこんなに人気者だったのか?とついつい思ってしまう。 うっそー 笑

冗談はさておき、この場をかりてあらためて皆様の温かいお気持ちに感謝したい。

皆様本当にありがとうございます。私は本当に幸せ者です

ところで、
僕の人生の中には、いくつかkey wordがある。
その一つが

”出会い”


”苦労は買ってでもするべし”という言葉があるが、僕は、”人との接触や出会いは買ってでもすべし”と思っている。

人間とは、どうしても自分の好きなように考える癖がある。その点において、自分自身も反省すべきことが少なくはない。むしろ非常に多いと言える。そういった隣人愛、否、自己愛は大きな過ちへと僕たちを導くことが非常に多い。偏見であったり、自惚れであったりと、教条的な思想、所謂“ドグマ”は、社会という大海原で生きる僕たちにとって時として毒となり、時として牙をむく。それを打破するためには己の考えに多様性をうえつけることが大切だ。そっ、相手を尊重“できる”ということがポイントになるわけ。

できる限り多くの人と話し、それ以上に人の話を聞くこと。そこから自分にはない何かを発見し、吸収する。それってすごく大切。

まぁ、手っ取り早く言っちゃうと
皆様から誘っていただいたランチ&ディナーは、僕にとって本当にmeaningfulなんです。

今度は、僕の方から誘いますね。

高級レストランで飯を食べるよりも
pricelessな会話を
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by NY_since1999 | 2007-05-24 06:09
2007年 05月 20日

夢を追え

僕には、姉が一人いる。

僕にとっては、この世でたった一人の大切な姉。
現在は子育て休暇中であるが、本来は教育の一線で生きるバリバリの教師。

そんな姉から、一通の手紙が届いた。
僕が書くこのブログに対する感想や想いが素直に書いてあった。

「ありがとう」

素直にそう思えた。
弟は東京で頑張ってるぞ。

さて、
実は、僕はそんな教師である姉に期待している。
日本の社会のために。
日本の未来のために。

僕はね、姉が生きる場、すなわち教育とは人間の根源であると考えている。
もちろん、教育といっても様々な局面が存在する。
家庭環境、友達、スポーツであったり、その全てが教育と言える。

とはいうものの、
やはり“学校教育”が子供達の人生に与える影響力は極めて大きいことは否定できない。

今、その日本の学校教育は本来進むべき方向からずれてきているように思えてならない。

例えば、小学校でのこと。

通信簿の表記方法の改定
体罰の異常なまでの禁止
そして、
ゆとり教育と言う名の
3.14 ⇒ 3

本当にそれでいいのだろうか?
健全なる学校教育と言えるのだろうか?
僕は、流行の教育批判ジャーナリストではない。
故に、日本の“ゆとり教育”がどうのこうのと言うつもりはさらさらない。
ただね、少なくとも二つのことをここに申したい。

一つ、
円周率(3.14159265358979362643383…)を3にした場合、
正六角形とそこに内接する円の面積は、計算上同一になる。
図を見れば、一目瞭然だが、
これは教育として明らかに無理がある。
なぜなら、それは明らかに“誤り”だからだ。
文部科学省さん、
誤りを教えてはいけんよ。

一つ、
これこそ、姉に託したいこと。

僕にとって教育とは、“人間”である。
そう、“人間”そのものなんだ。
姉には、その人間を子供たちに教えてほしい。

正直、”ゆとり教育”だとか、そんなものはどうでもいい。

僕達人間は忘れてはいけないものがある。
僕達人間は失くしてはいけないものがある。

感動すること。
夢を見ること。
わくわくすること。
ドキドキすること。
目標のために努力すること。
目標を諦めないこと。
人のために泣けること。
人のために何かしてあげたいと思えること。


これはね、円周率からは決して学べやしない。
台形の計算方法を省いたからって、学べることではない。
ゆとりを作ったって学べることじゃない。

姉の手紙にはこう書いてあった。

姉には夢があるそうな。

曰く

「国が違っても、友達になれるんだよ」

それを子供達に伝えたい。
だから教師なった。

それが私の夢


胸が熱くなったよ。
僕はそこにこそ教育の原点があると思うんだ。

姉ちゃん
一つ約束だよ

青臭く夢を追え
そして
日本の教育を変えろ

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by NY_since1999 | 2007-05-20 21:12
2007年 05月 18日

Friday night


金曜日。
僕がこれから入学するb-schoolの集会があった。
参加者は、卒業生と今年選ばれた、class of 2009一同。
いわゆる、OBによる新入生歓迎会。
集まった人数は100人を超えた。

名刺交換も、随分と多くの方とさせてもらった。
超がつくほどのVIPばかりで、僕がビビっていることを相手に悟られないように
するのに精一杯だった。相手のオーラに呑まれないようにするのに必死だった。
皆さん、それほどに影響力のある人ばかりだった。


定刻に、開会の挨拶。
195△年卒業の□×氏の挨拶から始まり、
要人の挨拶が続く。

そこには脈々と流れる伝統があった。
そこには歴史があった。

同時に、僕は体全身に鳥肌が立った。
「僕も、この一員なんだな・・・」
合格以来初めて素直にそう思えた瞬間だったように思える。

終了間際。

司会者(英語):
「それではclass of 2009の皆さん、前へ。
    自己紹介をお願いします。」

「何?・・」

およそ20名の新人が100人の前へ。


Good evening everyone.
My name is …..
I'm working for .....
I’m so impressed to meet you tonight.
Also, I’m so excited to be here as a member of class of 2009.

I promise here tonight.
We will succeed the sprit of 学校名 and make the new history with this member.

Thank you.


80歳くらいの要人の方が、
ニコッとしたのだけ見えました。
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by NY_since1999 | 2007-05-18 23:58
2007年 05月 13日

30mが僕に伝えたこと

土曜日。
仕事の出張で宮崎市へ。

僕にとって初めての九州上陸であり、仕事とはいえ、数日前から非常に楽しみにしていた。

ただ、本当のところを言うと、僕の視点は仕事より他のところにあった。
僕は、そのまんま東こと、東国原英夫氏(現宮崎県知事)のことを考えていた。

大きな挫折を乗り越え、ゼロからの再出発。
彼を待ち受けていたのは、世の中の冷たい視線だった。
それでも、彼は己を律し、前へ進みつづけた。

そんな東国原氏に僕は興味を抱いていた。

仕事を終え、帰り道。
空港の19:30のフライトまで、時間は残すところわずか。
タクシーに飛び乗り、一気に空港を目指す。
「運転手さん、ちょっととばしてもらえますか。時間がないんです。」

そんな中、僕はたまらず聞いてしまった。
「運転手さん。知事のことをどう思ってますか?」

運転手さんは言った。
「僕は、彼に投票した。東さんなら宮崎を変えてくれる。選挙運動の中で、彼の本気さが伝わったからなんだ。彼の目がマジだった。僕は、東さんに託す。」

思わず、僕は胸が熱くなった。
「知事も、彼に投票した県民も皆本気なんだ」
それが、ダイレクトに僕には伝わってきた。

その瞬間である。
奇跡が起きた。

タクシーの左後ろから一人の男が走ってきた。
東国原知事が一人で走ってきた。
日課のマラソンである。
ちょうどそのとき信号は青に。車は前に進み始めた。
30mまで近づいた距離は、瞬く間にひらいてしまった。

あまりの偶然に一瞬僕もひるんだが、同時に僕には、説明のできない満足感と、根拠のない確信がわきあがった。

”宮崎は変る”
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by NY_since1999 | 2007-05-13 21:31
2007年 05月 12日

My hero

金曜日の日経新聞。
ニューヨークヤンキースの松井秀樹に関する記事が目にとまった。
読んでいて思わず胸が熱くなった。

同時に、なぜだろう・・・・
僕は、15年前のあの夏を思い出した。

1992年8月16日
第74回全国高等学校野球選手権大会の二回戦
明徳義塾(高知)‐星稜(石川)

その日、僕は家族旅行をしていた。
この試合を父親の運転する車のラジオで聞いていた。
中学生の僕は、この試合の行方をわくわくしながら聞いていた。

星陵高校の4番には松井秀樹がいた。
優勝候補と世間に注目されていた星陵、
それ以上に松井秀樹の打席には全国が注目していた。
誰もが、星陵高校の圧勝を信じていた。
誰もがその勝利を疑わなかった。

だが、そうはならなかった。

9回表。
3-2で一点を追う星陵。
ツーアウトながら3番打者の山口投手が3塁打を放つ。
次に控えるのは、4番打者の松井。

一打出れば、同点のチャンス。

「河野投手。頼む、勝負してくれ。」

僕も含めた全国の少年達は、その瞬間そう思ったに違いない。
だが、明徳義塾の馬淵史郎監督は首を縦には振らなかった。

そう、松井秀樹は、5打席連続で敬遠された。

3-2

星陵高校は負けた。


松井秀樹の甲子園は、たったの20球で幕を閉じた。
松井の夏は終わった。

中学校の時の自分にとって、これほどショックだったことはない。
勝つために、勝つためだけに、明徳義塾は真剣勝負を避けた。

「なぜだ・・・」

でも、松井は、明徳義塾に対し、一言も文句をいわなかった。松井は常に前向きだった。

僕は松井秀樹という男が好きになった。

プロに入り、ヤクルトスワローズの高津から放ったホームラン第一号も今でもはっきりと覚えている。

時はたち、やがて松井は巨人軍の4番に。

彼は多くの子供達に夢を与えつづけた。
僕にも多くの勇気を与えてくれた。

そして、彼は挑戦の場として米国を選んだ。
世界への挑戦を心に誓った。
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松井秀樹から学んだ一番大きなこと。
それは
「諦めないこと」、「上を向くこと」

松井は、僕にとってずっとヒーローだった。
僕が、米国行きを決めたのは、
実は”松井の世界への挑戦”から大きく影響を受けている。
「僕も行きたい。世界へ・・・」

松井秀樹さん。
あれから15年。
もう、あなたも33歳になりましたね。
これからも僕のヒーローでいてください。
お願いします。

ふとした日経の記事だったけど、
色々また考えることが来た。

ここにSecond storyが…..

1992年の夏以来、
明徳義塾の馬淵監督は、世の中から罵倒され続けた。
「あれは高校生がやる行為ではない」

僕も、そんな馬淵監督を許せなかった。

社会から痛烈に批判され、監督は、ついに責任をとり明徳義塾に辞表を提出した。
だが、その辞表は受理されなかった。
校長:
「責任をとるなら試合でとりなさい」

10年かかった。10年である。

2002年の第84回全国高等学校野球選手権大会
馬淵監督率いる明徳義塾は全国制覇を成し遂げた。

松井もこの勝利を心から喜んだという。
僕は、その優勝を知ったとき、胸が熱くなった。


「諦めないこと」、「上を向くこと」
It is more important than anything else.

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by NY_since1999 | 2007-05-12 05:50
2007年 05月 05日

MISSION (やらねばならぬ事)

薫風の風が大地をかけぬける。
緑は夏に向かってさらに青さを増す。
田には水が潤い、蛙たちはこの時とばかりに歌を歌う。
朝日とともに始まるこの町の一日は、日の入りとともに一日を終える。
星たちは輝き、町全体をやさしくつつむ。
そして、
大地はまた次の朝日を待ちわびる。
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あの時と何も変わっていない。
何も。

かつて僕は、この大地で15年という時間を過ごした。
大自然たちが織り成すこの美の奇跡は、10年たった今でもあのときのまま。
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今、この町にも大きな変化が訪れている。
この地に暮らす人たちの生活は大きく変わろうとしている。

日本という国は、戦後、前例のない大きな成長を遂げた。資本主義国家という名の中央集権的国家体制は42年にも及ぶ奇跡の経済成長を実現させた。枯れることのない公共投資は、日本全体を満遍なく平等に成長させた。人々は、経済成長とともに増加する収入・生活水準の向上を満遍なく享受できた。地方経済は活況を呈した。そんな時代だった。


時代は、変わった。

公共事業の縮小、農業における価格調整の段階的撤廃。これまで国に守られてきたここに住む人たちのライフスタイルは時代という風に翻弄さている。かつて、専業で成り立った農業も、時代を経て兼業へ。だが、現実はその兼業も成り立たず、人々は職を失い始めている。その負の勢いはとどまるとことを知らない。

問題はそこにおさまらない。

この地には、子供がいない。
隣の小学校は、全校生徒が38人にまで減少した。この地では、地域の未来を創って行く子供たちがいなくなっているのだ。世の中では、簡単に”少子高齢化”というが、この地ではその問題が現実化している。新聞やTVでは決して伝わらぬ、現実の世界がここにはある。町は、エネルギーを失っている。人々は希望を失っている。

どうすれば?
何が必要なのか?

一言で言うならば、
"Opportunity”

二言で言うなら
"Opportunity to know, Opportunity to think"
すなわち、知る機会, 考える機会。

思うに、この閉ざされた山間部では、この”機会”が決定的にかけている。いや、山間部だけではない。地域社会全体にまで及ぶことなのかもしれない。これまで受動的に生きてきた地域経済は、何も知る必要がなかった。時代がどう動いているのか、明日へ向かって何をすべきか。そんなことを知るよりも国の政策に従っていさえすれば、成長という恩恵を享受できたからだ。だからこそ人々は能動的に動くという概念そのものを失った。でも、本当に必要なのはそこにある。

僕は、この地で生まれ、育った人間として、この地に何かしてあげたい。
ただ僕は、人に何かを教えるほど偉くもないし、能力もない。
でも、伝えることはできる。自分の想いを伝えることはできる。

だからこそ僕には、やらなければならないことがある。
共に、地域の方々と将来について語り合う場を創りたい。いや、創らなければならない。公共事業などによる繁栄は、一時的なものに過ぎない。人々が各々の頭で考えることが、明日への再現性を生む。人々が、能動的に考えることが今正に問われている。だからこそ僕は、この地域経済に向かって、自分の想いを伝えてゆきたい。そして、そこで何かに気づいてほしい。

具体的なことについてはここでは割愛します。


実は、僕がアメリカに行く理由のひとつは上記のことと少なからずかかわっている。日本という極めて不思議な国を、そしてその国の将来を考える上で、何が必要か?それは客観性だと思っている。この日本という国を客観的に考える必要があると思っている。だから、一度国の外に出て、改めて日本という国を見、考えてみたい。この国の文化、国民性、現在、過去、未来を一日本人として再考したい。それがこの国の未来へとつながると僕は考えた。
だから、僕はアメリカへ行く。


人々に希望を

大それたことに聞こえるかもしれない。
でも、誰かがやらなければならない。
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by NY_since1999 | 2007-05-05 16:06
2007年 05月 03日

My mentor

人生とは何で決まるのか?

人生とは、
“どれだけ多くの素晴らしい方々と出会えるかで決まる”
と僕は考える。

友、先生、仕事の同僚・・・
そういった人たちとの出会いが結果として個人の人生の行き先を導き出す。

幸運にも僕には、“師”と呼べる方が数人いる。
いわゆる、mentorという存在。

その一人がIさん。

かつて、4年もの間、ほぼ毎日2時間、タバコを吸いながらIさんは、僕に様々なことをご教授してくださった。
僕の今日の考え方は彼からの影響を随分と受けていることは紛れもない事実。

3年ぶりの再会となった。
お忙しいであろうに、僕の合格祝いということで、昨日二人で食事をする機会をもうけてくださった。場所は、“超”がつくほどの最高級レストラン。本当に感謝です。

さて、
ユダヤ人、愛、金利、資本主義の根源、イスラム教、キリスト教、ブディズム、弘法大師、お釈迦様、宇宙、バイブル、デカルト、fixed income、選択の自由、ミルトン・フリードンマン、オウム真理教、中国と北朝鮮、応仁の乱

話は尽きなかった・・
その中で純粋に思った。

“スケールが違いすぎる・・・“

正直、声が出ないほどの衝撃を受けた。
そう、僕はなんだかんだで自分が生きる世界、
つまり、現状に知らず知らずに満足していた。
それを完璧に思い知らされた・・・

それに気がついたとき、自分のあまりの小ささにその場を逃げ出したくなるほどだった。
旨い肉の味も正直、ほとんど覚えていない。
それほどの衝撃を受けた。

僕は、もっともっと大海を知らなければならない。
いつも、Iさんは僕にそれを気づかせてくれる。

“気づく”

それって、実は一番大切。
気づけずに、僕たちは多くのものを失っている。

気がつけてよかった。


Iさん
2年後にまたよろしくお願いします。
いきがった自分をまた叩き潰してください。
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by NY_since1999 | 2007-05-03 18:31