Wharton MBA 記  ~Carpe diem - 今を生きる~

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2008年 05月 31日

Paris

今日は10km はパリ市内を歩いた。
大体の地理感は得た。

歩きながらとった写真を載せます。
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芸術だ。
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by ny_since1999 | 2008-05-31 18:16
2008年 05月 31日

in Paris

no friends here
no mobile phone with me
can't speak French
no idea of direciton

I feel like i'm nothing here.

but this new environment helps me find myself that I have never seen.

my life in Paris has just begun.

Let passion bloom.
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by ny_since1999 | 2008-05-31 11:46
2008年 05月 29日

小さな村から生まれた、大きな奇跡

読売新聞新潟版にこんな記事が掲載された。
「キルギス抑留60年ぶり再訪」

その記事の主人公は、宮野泰氏。現在81歳。何を隠そう、宮野氏は僕の実家がある小さな村に住まれる方だ。宮野氏は、この村では宮野様と呼ばれ、地元住人から表される人物。思えば、僕も小さい頃から宮野様という名前は幾度なく聞いていた。でもその人が実際にどういう人なのかは、正直なところ全く知らなかった。

東京に、「シルクロード雑学大学」という市民団体があるそうな。同団体は1993年に結成されて、同年からシルクロードを20年かけて自転車で踏破する、「ツール・ド・シルクロード20年計画」に取り組んでいる。2006年、その旅の過程でキルギス(旧ソ連)東部のタムガ村を訪れた。その時に、地元民から多くの感謝の言葉をもらったという。「日本人が道を造った」、「親切だった」等。そう、それはかつて、ソビエトに連れられて、強制労働を強いられた日本人抑留者たちが作ったものだった。そういった感謝の意を実際にその道や建物を造った日本人に伝えようという思うから、同団体は当時の抑留者の捜索を開始した。

捜索は難航した。だが、タムガ村訪問の記事を見た抑留者の一人から連絡があったという。そして、その人から話を聞いた宮野氏がついにキルギスへの再訪を決意した。

かつて、ソビエトは日ソ不可侵条約を破り、日本を攻めた。そして多くの日本人がシベリアを中心に抑留された。そう、”シベリア抑留” のことである。その数は、数十、数百万人にも上ると聞く。実のところ、僕の祖父も当時、朝鮮地方にて兵隊として勤務していた。ソビエトが条約を破り、攻めて来るほんの一ヶ月前に、勤務地が変更となり、抑留を間逃れた。もし、一ヶ月遅れていたら、祖父は間違いなく抑留されていた。そして、僕はこの世には存在していなかった。一方、宮野氏はソビエト軍にキルギスへと連れられ強制労働を強いられた。開放されるまでの2年間、死に物狂いで生きたに違いない。
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先回のブログに記したが、僕の実家が位置する場所は、小さな小さな村(現在は市町村合併で市の一部にはなったが)。そんな小さな村の中にも、宮野氏のように、国境をはるかに越えた地の人々から60年という時を経た今でも感謝されるような方がいることは、僕にとって新たな発見であり、自慢であり、誇りだ。

読売新聞のたった一枚の記事ではあったが、僕は人間が創りだすドラマがいかに感動的で、いかに無限の可能性があるかを教えられた。Wharton を卒業したら、是非一度宮野さんを訪ねてみようかと思う。きっと、この若造に様々なことをご教授していただけるに違いない。

宮野氏は、7月1日にキルギスへと向かい、自らが60年前に立てた建物へ再訪することになっている。

いってらっしゃい。
くれぐれも健康には、お気をつけてください。

僕は、これからフランスへ。いつの日か小さな村でお目にかかれることを楽しみしております。
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by ny_since1999 | 2008-05-29 16:28
2008年 05月 28日

熊に追われたあの日

今、僕は実家の新潟県は新発田というところにいる。
一年ぶりの里帰りを満喫中。
僕の家は、その新発田市の中でも、はずれに位置している。
そう、それはまさにカントリーサイド。

おいらは田舎者。
都会の生ぬるい環境で育った人間とは育ちが違う。
サバイバルになったら生き残るのは、この俺だ。

僕は、小学校3年生の時に熊に追われた。
幼馴染の女の子と農道を必死に走って逃げた。
二十歳のときにに、その子と再会したときに確認した。
「あの日、僕たち熊に追われたよね・・・」

Whartonでこの話をしたら、皆僕の話を信じようとしない。
僕が飲み会用に作り上げたネタ話に違いないという。

ならば仕方ない。

僕が生まれ育った大地をここに示そう。

そう、僕は、この大地で熊に追われた。

家の前から見た大地。
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最後の写真は、今回は特別に、未だに生きる薪風呂を紹介。
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by ny_since1999 | 2008-05-28 16:27
2008年 05月 23日

リアルライフ

日本に帰国し五日目が過ぎ去った。今回の帰国の目的は主に仕事。それ故、毎日スーツを来て日本のオフィスへと向かった。久々のスーツは僕をなんだか清々しい気分にさせた。日本を発って以来、今回で3度目の帰国となり、今回が日本での滞在が最も長い。だから、会社で働く皆と話す時間もすれなりに取れることもあり、帰国前から随分と楽しみにしていた。

久々に、戻ったオフィスは、あの時のまま。だけど、そこからは多くの点、多くの人間から「成長」を感じさせられた。所詮、今の僕はアカデミズムで生きる現実を知らない単なる学生。思考を働かせ、経済や社会の動きを考える時間が全くといってなかったWhartonでの一年間。現場で常に顧客に接し、リアルタイムの情報の中で生きる仲間たちの姿は、ある種、羨ましくも思えた。

僕が、社会に復帰するのは一年後。ビジネススクールの価値を活かすも、活かさぬも、全ては僕自身にかかっている。そんなことを考えさせらた一週間だった。
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by ny_since1999 | 2008-05-23 23:53
2008年 05月 22日

恋文

君と出会ったのは、いつのことだろう。
あれから幾年の月日が流れたね。
時がたつのは本当にはやいもの。
でも、僕はあの時君に抱いた気持ちは今でもかわらない。
僕は今でも君のことが好きだ。
今日は、その気持ちを伝えたくて。

正直言うよ。
初めて君に出会ったとき、僕がこんなにも君に夢中になるなんて思いもしなかった。
“くせ”のある君を受け入れられない人も多くいることは、僕は知っていた。
でも、僕にはちがった。
僕はその君の“くせ”が好きだった。
そして僕は知ってるよ。
君が誰よりも根気強いこと。
何があっても粘り強い君。
絶対に、諦めない君。
僕は、そんな君の全てが好きだった。

日本を発って以来、僕はアメリカでいつも君の事を考えていた。
毎朝、目が覚めると、あの時のことを思い出す。
そして、いつも君のことが愛おしくなる。
となりにいない君を抱きしめたくなる。
できることなら、毎朝僕のそばにいてほしいと何度心で思ったことだろう。
そして朝食を君と過ごしたい。
そんなことを夢見ながら過ごしたアメリカでの一年だった。

一年ぶりの再会だね。
僕は変わった?
君は、あの時のままだね。
僕はずっと君のこと考えていたんだよ。
正直にいうよ。
今日、僕は君を独占したい。
そう、あのときのように。

いただきます。
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In 松屋
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by ny_since1999 | 2008-05-22 23:34
2008年 05月 19日

再会

昨日の超longフライトを終え、時差ぼけを体全身に感じつつも、僕が日本で属している会社に向かった。今回の日本への帰国は、所謂仕事での帰国。随分長いこと着ていなかったスーツに腕を通し、タイを締めた。久々のオフィスは、新鮮だ。新しい顔もちらほら。僕が米国でアカデミズムの世界に浸っている間に、会社は確実に変化していることを感じさせた瞬間でもあった。

夜は、大学時代からの友人とディナー。皆、月曜日で仕事も忙しいだろうに、僕のためにおよそ10名が集まってくれた。およそ一年ぶりの再会。話は尽きることはなかった。その中でも、二つのめでたい話があった。一つは、Nが赤子を授かったこと。無事安定期に突入し、数ヵ月後には、元気な産声が聞けるとのこと。そしてもう一つは、当日集まったメンバーの一人が音楽家としてメジャーデビュー。現在、その曲は日テレ系番組「ぐるナイ」の4月~6月期エンディングテーマに使用されているとのこと。僕にはサイン入りのCDをプレゼントしてくれた。生きる世界は違えど、身近に自分の夢を真剣に追いかけている仲間がいることは僕には本当に刺激になる。僕の周りにはそんな仲間が回りに数多く存在する。僕は、きっと運がいい男に違いない。

気づけば、終電。

次の再会が楽しみだ。
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by ny_since1999 | 2008-05-19 23:26
2008年 05月 16日

あの日と同じ瞳のままで

現在(いま)君は夢を僕に言えるか
あの日と同じ瞳のままで

どこかでどこかで憧れだけを抱いて
大人の大人の慰めだけを待って
Ah 流れてないか もう流されないで

AH 培った(つちかった)夢は 真夏に濡れた白いシャツのように
緑の風を受けて輝いていた
もう一度あの日のように


現在君は夢を僕に言えるか
あの日と同じ心のままで

どこかでどこかで時代の風に負けて
涙で涙でぼやけた空を見ても
Ah 悲しいだけさ もう終わりじゃないさ

AH 培った夢は 真夏に燃えた熱い恋のように
君の夢と僕の夢をかみあわせたら
もう一度あの日のように

どこかでどこかで時代の風に負けて
涙で涙でぼやけた空を見ても
Ah 悲しいだけさ もう終わりじゃないさ

AH 培った(つちかった)夢は 真夏に濡れた白いシャツのように
緑の風を受けて輝いていた
もう一度あの日のように

AH 培った夢は 真夏に燃えた熱い恋のように
君の夢と僕の夢をかみあわせたら
瞳のなかで
心の中で
もう一度あの日のように

Liric/Music by Hideaki Tokunaga
~ from Album " INTRO III "




明日、僕は日本へ帰国する。アメリカでの一年の生活を終え、日本へ。
そして、僕は欧州へ飛ぶ。
そこには新たな挑戦が待っている。
アメリカに戻るのは3ヵ月後。

自分自身に問うてみよう。
“現在(いま)君は夢を僕に言えるか あの日と同じ瞳のままで”
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by ny_since1999 | 2008-05-16 10:05
2008年 05月 14日

もう一度あの日のように

とある友人からメールが届いた。僕の尊敬するNさんからのメール。NさんとはMBA受験の際に出会い、以来3年の付き合いになる。僕より一年早くUniversity of North Carolina (UNC) のMBAコースに入学を決め、この度、二年の修士課程を全て修了し、無事ご卒業されたとのこと。その報告のメールだった。本当におめでとうございます。心からお祝い申し上げます。

Nさんは、MBAに挑戦するまえに既に輝かしいキャリアを持っていた。年齢だって、決しては若くはない。知識と経験を活かし、築き上げたものを更に成長させる道だっていくらでもあったはずだ。つまり、MBAなんて選ぶ必要なんてなかった。でも彼は、全てを捨てMBAという道を選んだ。そこには、言葉では決して表現しえない、彼なりの強い想いがあったに違いない。Nさんは自分の夢を選んだ。

彼と話していると、いつも僕の体温は1℃も2℃も上がる。それほどに、いつも話しが盛り上がる。こんな人が会社の先輩にいたらなと、幾度も思ったものだ。Nさんは、僕に大きな影響を幾度も与えてくれた人物の一人。

2年前、僕はNさんがUNCに合格したときに、シャンパンをプレゼントした。そこで男の約束をした。来年は、僕の合格祝いのシャンパンで乾杯しようと。一年後、Nさんは用事がありフィラデルフィアに来た。その際に僕のところまで足を運んでくれた。最高のシャンパンを片手に。

Nさん、
再会は、いつになるかわかりません。だが、あなたとは必ず再会するでしょう。その時は、安い発泡酒でのどを潤した後に、最高級シャンパンと共に夢を語ろうじゃありませんか。3年前、互いにMBAを夢みて杯を交わした時のように。そう、もう一度あの日のように。
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by ny_since1999 | 2008-05-14 23:32
2008年 05月 13日

ディズニー

乾いた風が大地を駆ける。
暖かい日の光は、緑たちに力をとどける。
大きな青い空は、小さな僕を遠くから見つめる。
人々は、日ごろの仕事から解放され、この時と空間を子供のように楽しむ。

フロリダはオーランド。
この地は僕を子供にさせている。

たまにはいいね、こういう時間も。

知る人も多いと思うが、このオーランドにはディズニーワールドが存在する。おととい、昨日と二日かけて僕はそのワールドを体験してきた。

まず、その大きさに驚いた。東京のものとは比較にならない。これが、人類の建造物かと思わせるほどの広さ。車でゲートに入ってから10kmくらい走り、ようやく駐車場に着く。そこからワールドにたどり着くまで、バスとモノレールを二度も乗りつぎ、ようやく本拠地に着く。そう、それほどに広い。世界中から多くの家族が訪れ、平日にもかかわらずビジネスは活況を呈していた。

二つの学びがあった。
一つは、企業の社会に与える影響だ。この地にディズニーワールドがあることで、街は多くの恩恵を受けている。宿泊施設をはじめ、レストラン、ショッピングセンター等々、世界から押し寄せる観光客は、この地へ多くのお金を落としてゆく。同時に、それはそこで働く人たちの雇用を支えている。 一つ気がついたことがある。この街では多くのラテンアメリカ人が働いている。無論、地理的に近いことが一つの所以だが、忘れてはならないのは、働く機会がしかと存在しているという事実だ。ディズニーワールド、そして同じように同地域に存在する、アニマルキングダム、ディズニーシー内で働く人の数は、およそ数万人。その周辺のレストラン、宿泊施設で働く人の数は、それ以上であろう。そこへ世界中から、年間数十万、あるいは数百万人の人が押し寄せる。そう、たった一つの企業がこれほどにインパクトを社会に与えているのだ。それを、この地へ来て本当に身をもって体験することになった。“企業”というもの偉大さを、改めて考える良い機会となった。

そして、もう一つ学びとは、ディズニーのオペレーションだ。従来、僕はそもそもオペレーションになど目を向けたことはあまりなかったが、WhartonのOPIM631, OPIM 632 (所謂の生産管理、オペレーションマネジメント的なクラス)を受講してからは、世の中に存在する、在庫や、waiting time やlead timeが気になる今日この頃になっている。詳細は割愛するが、僕はディズニーのオペレーションに心底感動した。ディズニーとは、夢を子供たちに与える企業というイメージがこれまでは僕の中では主流であったけど、それだけではない。ディズニーとは想像以上に精巧に構築された企業だということを現場から教えられた。

以上今日感じたことを簡単にまとめてみた。
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by ny_since1999 | 2008-05-13 22:04