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2008年 06月 29日

Borderless World

およそ一年前、「国境のない世界」というものを書いた。それは、僕がアメリカに来る前に実際に経験した事。同じ環境で生きる人間であっても、国籍という“いわゆる”書類上の相違だけで、今後歩む一歩に大きな差が生じてしまう。悲しいことだけれど、これは世界でまかり通っている現実だ。

一方、人々の心の内はどうだろか?僕には、人々の心の中にも同じように、“国境”というものが無意識的に存在しているように思えてならない。心の国境とはすなわち、差別のこと。”隣の幼稚園”というものに僕なりの視点を述べたけど、アメリカに住む白色人種と、黒色人種の間には大きな“差”が存在している。果てして“差別”という言葉が適切かどうかは、異論もあろうところだろうが、いずれにせよそれがアメリカの現実。

この現実を違った角度から見つめてみよう。読者の皆さんは、アメリカに行ったことがありますか?では二つ目の質問。読者の皆さんは、アメリカで異なる人種の恋人が町を歩いている姿を見かけたことはありますか?たとえば白人と黒人のカップル。黄色人種と白人あるいは、黄色人種と黒人のカップル。ゼロとは言えないけれども、極めて稀であることは否定できない事実ではなかろうか?

読者の皆さんはそれがなぜだと思いますか?

それがアメリカ。

さて、次に僕が現在住むフランスという国を考えてみたい。ご存じ、フランスという国は、アメリカと同様に人種のるつぼと称されるように、極めて多くの人種、あるいは民族で構成されている。戦争の歴史、植民地の歴史がそのまま、現在の住民の構成に大きく影響している。僕が現在住む地域には、とりわけアフリカ系住民が多く、アジア人は僕以外あまり見かけることはない。

僕は、アメリカとフランスの間で大きく異なる点を発見した。そして、そのことが僕に多くのメッッセージを与えてくれた。

街を歩いてみる。フランスの恋人達は熱い。人目構わず、路上で愛を確かめ合っている。正にフランスの風物詩。でも、その相手が、異人種である情景を見かけることが極めて多い。アジア人と黒人、白人と黒人。実際にどういういきさつで、付き合うことになったかは、もちろん僕が知る由もないが、フランスに来て以来、そういった恋人たちの光景をいく度なくみかけている。

公園にジョギングへ。子どもたちはジャングルジムで一生懸命に遊んでいる。子どもの人種には“壁”は存在しない。黒人、白人、黄色人種。皆一緒に、汗を流して遊んでいる。この光景を、僕はアメリカであまり見たことがない。それは偶然なのだろうか?

a0100263_1850331.jpg2008年3月に、フランスの市長が再選した。彼は次期フランスの大統領候補になる可能性もあると巷では噂されている人間。彼の名は、ベルトラン・ドラノエ。1997年、ドラノエ氏はフランスの中央政界で初めて、自らが「ゲイ(男性同性愛者)である」とカミング・アウトした政治家。世界の他の地で、もし同じことが起こったらどうなるか想像していただきたい。日本だったらどうだったのだろう?きっと、同じ結果にはならないだろう。読者の皆さんはいかに考えますか?

フランスとは、上記に書いたとおりに、“国境”、つまり人間に対する“心の壁”が他の国や地域から比べると低い国なのかもしれない。その人の、肌の色や、その人の文化や、その人の好みによって、人を判断するのではなく、その人の人間としてのコンテンツによって判断しているのだろう。

マーティンルーサーキングはかつて“I have a dream”でこう述べている。
I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not judged by the color of their skin but the content of character.
私には夢がある。いつの日か私の幼い四人の子どもたちが、彼らの肌の色によって評価されるのではなく 彼らの人格の深さによって 評価される国に住めるようになることであろう。


僕は、フランス人は確かに傲慢だし、不親切だと思う。更には、他の民族や人種に対する厳しい目も間違いなく存在すると思う。

でも、繰り返すけれど、僕が街で頻繁に見かけた光景は、このフランスという国の“可能性”のようなものを僕に深く感じさせてくれた。

新たな発見だった。
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by ny_since1999 | 2008-06-29 11:48
2008年 06月 26日

Do you have a dream?

現在僕が勤めている会社に新しいインターンシップの学生が二人入社した。先回書いたように、二人もやはり20代前半の大学生だ。一人はドイツから、そしてもう一人はフランスの大学から。卒業に必要な企業勤務の経験を取得するべくこの会社に入社した。聞くところによれば、会社側も彼ら/彼女らの成長と貢献をしかと評価し、大学に通知するそうだ。期間は、半年から一年。その間、学生たちは、現場で必死に学んでゆく。教科書は“現場”。

僕はフランスでこれまでに4人のインターン生と出会った。母集団があまりにも少ないため、それが欧州全土の学生を表現するというには無理がある。さりながら、少なくともその四人の学生には、僕の印象に残る共通点が一つあった。

「Do you have a dream?」

という質問に明確に答えてくれたこと。彼たちは、若いながらも自分なりのvisionをしかと持ち、それを達成すべく、日々を必死に歩んでいる。そんな、彼・彼女たちから僕が日々学べることは、実は本当に多い。感謝したいくらいだ。

以前、「学ぶことへの熱意」というエッセイを書いた。それは日本の教育に対する僕なり思いをまとめたもの。繰り返すが、未来の社会とはいつの時代も、どこの国でも、若者たちが創造し、構築しゆく。そしてその若者たちを構築するものこそが教育。僕はそう考える。言わずもがな、教育とはacademismだけではない。

少し寄り道をしよう。1989年12月31日。日本の経済は極(きわみ)に達した。以来19年間あの活況を再現できてはいない。以後、経済、そして時代の潮流はアメリカへと流れた。21世紀初頭、アメリカはITバブルに揺れた。さりながら、以降、アメリカ経済が世界を牛耳ってきたことは否定できない事実。一方、2002年にユーロ通貨の流通が開始された。昨年2007年、ルーマニアとブルガリがEUに加盟し、加盟国は27カ国へ。そして、気づけばユーロ通貨はここ数年力をつけている。そう、EUは静かに、静かに上を向き歩んでいる。
時代の潮流はいずこへ?

僕が出会った日々必死に働くイタリア人、フランス人、ドイツ人の大学生たち、そして若者たちに現場での修業を強制する“制度”は、もしかして10年後の世界の“潮流”のヒントになるかもしれない。

そんなことを考えた今日この頃。

日本の大学生は今何をしているのかな?
Do you have a dream?


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by ny_since1999 | 2008-06-26 23:02
2008年 06月 24日

GNC

GNCという言葉を耳にしたことがある人は決して少なくはないはず。言葉自体は、随分と前から存在している。GNC: Gross National Coolのことだ。文化的な影響力、格好良さとでも訳せばいいだろうか。この言葉がフランスに来て以来、僕の頭の中によくでてくる。

以前もブログに紹介したけれども、今パリでは日本食が大ブーム。いたるところに日本食レストランが立ち並び、ラーメン屋の前で長蛇の列を発見することもしばしば。でも、人気なのは日本食だけではない。フランスでは、日本のアニメが大人気。フランス語でも「MANGA」と日本語がそのまま発音されている。皆、驚くほどに日本の漫画のことを知っている。ドラゴンボールZや、スラムダンク始めとし、次からつぎへと枚挙に暇がないほどに。

僕が今働いている会社には、ロシア人の女の子も働いている。彼女曰く、今ロシアでも日本のアニメが大人気だそうだ。ちなみに彼女は、「セーラームーン」が大好きだったとのこと。一昔前までは、ロシアでは闇市のようなマーケットで日本の漫画も取引されていたらしい。

ロシア人の彼女は僕にこう言った。
「私は、いつの日に日本に行きたい。日本は私の夢の国。いつの日か・・・」

改めて考えさせられる。日本とは本当に、ホントウに、不思議な国だ。不況、フキョウ、と言いながら、世界の人々は、日本車にのり、日本のカメラを持ち街を歩き、世界の多くの若者たちは日本の漫画で育った。もちろん、日本のゲーム機器も世界の若者たちに大きな影響を与えている。そして、最近は多くの町で日本食が大人気。

Japanese Cool.

Japan as No 1 とかつて呼ばれたあの活況の再現はないにせよ、10年、20年後でもこのJapanese Coolがしかと世界に存在していてほしいものだ。
そのためには、僕には何ができるかな。
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by ny_since1999 | 2008-06-24 21:34
2008年 06月 23日

From here, light and sacred draughts

直訳すると「ここから、光と神聖な風」のような意味をなす。これは、世界の名門校として知られるUniversity of Cambridgeの校訓である。

僕の人生は、気まぐれが多い。20日、金曜日。突如、イギリスに行くことを決めた。仕事が終り駅へ。チケットを握りしめ、Eurostarに乗り込む。行先は? とりあえずUK。それ以外決めていない。行先はついてから決める。それが僕の旅のやり方。

でも、外国に行くと僕は決まってあるところに向かう。それはその国の最高峰の大学だ。歴史に残る人物や、国、そして世界を動かす方々がかつて学んだ場所を見ることは、僕に大きな感動と想像力を与えてくれる。中国に行った時は、北京大学、清華大学、そして人民大学から大きな感動を得たことを昨日のことのように覚えている。

となれば、行き先は二つしかない。オックスホード、そしてケンブリッジだ。そして今回はケンブリッジを選んだ。理由は簡単。そう、僕の気まぐれ。

ロンドンの北に位置するケンブリッジは車でおよそ一時間の距離。レンタカーを借りて学問の聖地へと向かった。
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感動だ。その言葉しか出てこなかった。なんて素敵な街だろう。街の中全体に大学の建物が点在しており、街と大学が完全に融合している。その歴史も日本のものとは比較にならない。ケンブリッジの創立は1284年、日本は鎌倉時代。サムライが切り合っている時代と時を同じくし、ケンブリッジは産声を上げた。ちなみに東京大学は1877年、ハーバード大学は1636年、北京大学が1898年の創立。そう、歴史の重みが全く違う。更には、卒業生のレベルが違う。驚くなかれ、人類の進化に貢献した、アイザック・ニュートン、チャールズ・ダーウィン、ジョン・メイナード・ケインズはケンブリッジの卒業生。ノーベル賞受賞者も81人と世界最多。ちなみに、現在世界を牛耳るハーバードからは19名、MITからは63名。(2005年現在)。そう、僕が訪れたこの街から生まれた(創造された)物が世界の歴史、社会に与えた影響力は計り知れない。
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数百年という悠久の歴史を肌で感じつつ、僕はこんなことを考えていた。かつて、ここで学んだ“偉大な”若者たちは、何を考えて日々生きていたのだろう。若者たちは、日々何を食べ、何を着て、そしてどんな夢を・・・。

明治以降、多くの日本人もケンブリッジへと渡った。当時は、電子辞書など当然あるわけもなく、辞書だって今ほど精巧ではなかったはずだ。船に乗り数か月をかけてイギリス来て、この地で必死に学んでいった。彼らは、きっと僕が今アメリカで経験しているものとは比較にならないほどの困難を乗り越えたに違いない。彼らは、何を考えて日々をおくっていたのかな・・・。 その日は、街の歴史とその建物がつくりだす独特の雰囲気が僕をノスタルジックにさせた。
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(Peterhouse since 1284)

僕は、今アメリカのMBAという世界にいる。学問の偉大すぎる歴史を前にしたとき、MBAがなんだか安っぽく見えた。これはその時感じた正直な気持ち。

ケンブリッジ。
来てよかった。

人生
一生勉強
一生青春
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by ny_since1999 | 2008-06-23 22:03
2008年 06月 13日

10年後の約束

サマーインターンが始まってからいつしか2週間が過ぎ去った。この2週間は、僕にとって本当に濃度の濃い日々だったといえる。実は、僕は今、自分が与えられたタスクの他にもう一つのことに挑戦している。それは、社員全員と語ることだ。「10分でも5分でもいいから僕と話してくれ」と皆にお願いし、結果的には話が盛り上がり、皆、30分から一時間も僕に時間を割いてくれる。本当にありがたい話。とりわけ、マネジメント層の人たちとの会話は相当に面白い。やはり、他の社員と異なり、考えていることが3歩ほど先に進んでいる。でも大切なのは、どの方向に3歩進んでいるかである。その意味で、相手の目の奥にある何かを探りながら、日々本当に面白いディスカッションとなっている。

僕は、現在サマーインターンの身。実は、僕の他にもう二人のインターンがいる。でも僕との大きな違いはその二人は20歳だということ。そう、つまり大学生だ。この事実が僕を本当に驚かせた。それは、彼らが大学生だからではない。彼らが、大学のコースの一貫でインターンに来ているという事実だ。一人は、フランスの大学、もう一人はイタリアの大学から来ているわけだが、その大学では、企業でのインターンが義務付けられており、その課程を修了しない限り、大学を卒業できないらしい。期間も、数か月から一年にも及ぶ本格的なものだ。現在、ヨーロッパでは、その方式をとる大学が決して少なくないという。大学生のうちから、社会にでて、実際に自ら現場で経験し、自分のやりたい事や夢を再確認する。なんて素晴らしい体験だろう。僕は心底そう思う。一方、日本の大学生はどうだろう。考えるだけで、言葉を失ってしまう。日本にこそ、大学生のインターンシップのような制度が必要なのではなかろうか。

話をもどそう。二人のインターン大学生のうちの一人、フェデリコ(イタリア人)が今日をもって5カ月のインターンシップを終えた。僕と出会ってからはほんの2週間。短い間だったけど、彼は僕を相当に慕ってくれた。僕としても、彼をまるで弟かのように可愛がった。僕が、彼をかわいがったのには理由がある、と今だから思える。それは彼が魅力的な人間だからだ。20歳とは思えないほど自分の夢をしっかりと持ち、それに向けて着実に前進している。世の中には口だけのやつがほとんどだけど、彼は違うと素直に思えた。そして何よりも、フェデリコはいい目をしている。印象に残る目だ。僕は、そんなフェデリコの目が好きだった。

フェデリコは、これから大学にもどり、一年後に卒業し社会に出る。そのころ僕もWhartonを卒業し、社会復帰するために日本に戻る。フェデリコがどこへ行くのかは僕には見当もつかない。でも、きっと彼ならきっと自分の夢に向かって走り続けるだろう。そんな彼といつの日か再会するのが今から楽しみでならない。

「10年後に再会しよう。約束だ。」

固く握手を交わした。
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by ny_since1999 | 2008-06-13 21:28
2008年 06月 12日

Summer intern

僕がフランスにいる理由は、高級なフランス料理を食べるためではない。とある企業にてサマーインターンをするために来た。今、800人のWhartonの学生たちは、世界に飛び散り、主にサマーインターンに従事している。僕もそのひとりというわけだ。もちろんこれはWhartonに限らず、他のbusiness schoolも同様のこと。皆、このサマーで企業にアピールし卒業後のオファーをもらうべく、必死に働くわけだ。

僕が現在属する企業は、グロバールに展開はするものの、規模自体は決して大きくはなく、社員の数もおよそ60人。ところが、驚くなかれ、その中には16もの国籍が存在するのだ。社内の公用語はフランス語と英語だが、実際は、もっと多くの言葉が飛び交っている。僕は立派な部屋を与えられ、同年代の女の子と二人で部屋を陣取っている。彼女がまたすごい。ハンガリー出身の彼女は、ハンガリー語はもちろんのこと、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語を話す。フランス語はラテン言語であるため、同じラテン言語である、イタリア語とスペイン語も大体は理解できるとのこと。彼女の隣に座っていると、かかってくる電話にすべて違う言葉で対応しているシーンが多々ある。次から次へと、まったく異なる言語が出てくるのだ。聞いていて、こちらの頭がおかしくなりそうに。恐ろしいのが、彼女はそれぞれの言語で計算もできるのだ。稀に見る、頭脳の持ち主だ。ちなみに、僕は日本語と英語と中国語(生活レベル)を話すが、なんだか彼女に影響され、四つ目の言語としてフランス語を本気で学ぼうかと考え始めた今日この頃です。

新しい組織を見ることは、本当に勉強になる。その組織の良さと、潜在的な問題などを自分なりに考えることは、今後自分が実際に組織を構築していくときに本当に役立つにと考えている。Whartonという組織からも多くを学ぶことができたことは言うまでもないこと。ヨーロッパでの生活は、まだまだ続く。この国、この地からできる限り多くのものを吸収し、自分のアセットにしたいと思う。
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by ny_since1999 | 2008-06-12 23:20
2008年 06月 09日

ブルゴーニュへ

a0100263_592157.jpgということで、今日はBeaune(ボーヌ)へ、自分とN夫妻と3人で小旅行してきた。ボーヌは、知る人ぞ知るブルゴーニュワインの産地。おいしいワインを求め、3人で早朝からTGVでおよそ2時間半かけて、ブルゴーニュワインの聖地へ。着いたときには既に昼時。3人の腹の鳴る音は、1km先でも聞こえるほどに。3人が向かった場所は、地元の人がお勧めの高級フランスレストラン。本来は、地元の家庭料理である、牛肉の赤ワイン煮込みなどを安く食べる予定だったが、地元の人のお勧めとなれば、こちらとしても興味がわく。“この際”、と思い切り、一人10000円近くもするランチを無謀にも試みた。案の定、味も、質も、何もかも抜群。いやそれ以上だ。満足の一言。昨日食べたフランス料理を更に上回る出来。思わず、この際ばかりと高級ワインにも手を出してしまった。およそ2時間をかけてのボリューム満点のランチ。なんと贅沢な時間だったことだろう。「一年に一度くらいはこんなことがあってもよいのでは。神様すみません」。と思いながらも、豪快にワインを飲み干した。
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僕は、これまで本格的なフランス料理は食べたことがなかったが、昨日と今日味わったフランス料理の味は格別だ。少しフランスのことが好きになりました。ニーハオ。

帰り道は、マスタードで有名な街、Dijonに立ち寄り、晩飯をとる。昼があまりにも強烈だったため、控えめに・・

10時に帰宅。今日は何百キロ移動したことだろう。
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by ny_since1999 | 2008-06-09 23:04
2008年 06月 08日

久々の再会

a0100263_4575688.jpg今日は友人とランチの約束。Wharton で同期のスーパー弁護士N氏とのランチだ。僕のように山奥の村で育った田舎野郎とは異なり正真正銘のスーパーエリート。だけど、なぜか気が合い、Whartonでは仲の良いお友達。 現在彼INSEADに交換留学中で、パリから40km離れた街、フォンテーヌブローに現在滞在中。僕がパリに滞在しているということもあり、パリでの再会を計画したわけだ。アメリカで最後に会って以来、およそ一ヶ月ぶりの再会となった。N氏の奥様もjoinし、僕たちが向かった先は、Les Cocotesというレストラン。日本でも雑誌で取り上げられるなど人気のある有名店だ。日頃ろくなものを食べていない僕にとっては、栄養をつけるチャンス。その日は、胃がびっくりするほどの代物が目の前に並んだ。これまで、正直なところフランス料理をというものをまともに食べたことがなかったため、そのおいしさにびっくりしたことは事実。おいしいワインと共に、会話ははずんだ。
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なんと!気づくと、僕の斜め前には、元アナウンサーの中村江里子氏が座っているではないか。隣にいるのは、ナントカとかいう“すかした”フランス人の旦那。どうやらそこは有名人も御用達のお店らしい。なるほど、確かに料理とワインの味は抜群。僕たち3人の会話の中で、「中村さんと写真を一緒にお願いてみないか?」という話も出はしたが、僕としては、「俺たちを誰だと思ってるんだ、このたわけもの! そっちがこちらに挨拶に来るべきだろう!」とワインを飲んで強気になっていたため、写真をとれませんでした。中村さんのファンの皆様すみません。

そんなこんなの一日だった。僕は、現在パリ市内で友達も誰もいない中、ひとり寂しく生活している。それでもこうして国境を越えて再会できる仲間がいる僕は幸せ者だ。本当に有意義な時間を過ごすことができた。

その日はワインと料理が会話を弾ませた。“明日一緒に旅行しようよ”といことに。いきなりだが、明日、3人で旅行することになった。行き先は、ワインの聖地ブルゴーニュへ。

思ったら即行動。 僕はそんな生き方が好きさ。
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by ny_since1999 | 2008-06-08 23:57
2008年 06月 06日

New life

a0100263_004410.jpgホテル住まいを終え、新しい住居へ引越しを完了。新しい引越し先は、パリ市北部にある住宅地の一角。100年は優にたつであろう古い建物が、今後僕が生活する新たな城だ。僕の部屋は4階(フランスは一階をゼロと数えるため、日本式では4階となる)。当然そこにはエレベーターなどは存在しない。100年の歴史を持つ木製の階段は、人の行き来で美しく磨り減っている。a0100263_013647.jpgその美しき階段を重い荷物と共に上るとそこには僕の城が待ち構えている。予想に反し、内装は悪くない。部屋は二つあり、結構広い。一人で住むにはもったいないほど。ソファー、テレビ、ダイニングテーブル、キッチン、ベッドなど、必要なものはほとんどある。ただ、難点は洗濯機がない。近くのコインランドリーまで行く必要がある。でも、街を少しでも歩けば、レストランや、スーパーもあり、生活にはこまらなそうだ。出だしは好調か(?)

NY,オーストラリア、北京、フィラデルフィア、そしてパリ。僕の30にも満たない短い人生だけど、これまでに本当に多くの街での生活を経験することができた。それぞれの街には、それぞれの色と風の香りがある。その一つ一つに、新たな学びがあり、新たな出会いがあった。僕にとって、今回が人生初めてのヨーロッパでの生活。僕には、如何なる学びと如何なる出会いが待っているのだろか。僕ももうすぐ三十路だが、少年のようにワクワクする気持ちが僕にはまだ持っている。

思えば、僕にとって初めての海外生活はNYだった。あれは20歳の夏のこと。ベネズエラ人と共に二人部屋に押し込められ、二人とも英語もろくに話せない状態での生活が始まった。僕は二段ベットの上、相棒のエドワルドは下。初めての夜、僕は天井を見ながら、これから始まる新たな生活に対する不安と、これから始まる生活への溢れんばかりの意気込みを真新しい日記帳の一ページ目に込めた。もちろん、当時僕は20歳。あれほど支離滅裂な日記は他には存在しないと思し、青臭いことも随分と書いた。だけどその日記帳は今でも僕の宝物の一つ。なぜなら、あれは僕が世界へと踏み出した初めの一歩だったから。

あれから9年。
僕のパリでの一歩は、C’est combien?(=いくらですか?)から始まった。
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by ny_since1999 | 2008-06-06 23:58
2008年 06月 04日

Today is a gift

To realize the value of ONE YEAR, ask the student who has failed a class.

To realize the value of ONE MONTH, ask a mother who a gave birth to a premature baby.

To realize the value of ONE WEEK, ask the editor of a weekly newspaper.

To realize the value of ONE HOUR, ask the lovers who are waiting to meet.

To realize the value of ONE MINUTE, ask a person who missed the train.

To realize the value of ONE SECOND, ask a person who just avoided an accident.

To realize the value of ONE MILLISECOND, ask the person who won a silver medal in the Olympics.

Treasure every moment that you have.
Yesterday is history.
Tomorrow is mystery.
Today is a gift.

That's why it's called the present.
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by ny_since1999 | 2008-06-04 23:13