2008年 12月 13日
ふと気がつくと、外は明るくなっていた。 東からさす朝の光が僕に時間の経過を伝えてくれた。 それほどに、僕は一冊の本に集中していた。 そして最後の1ページを読み終え、僕は床に就いた。 僕が時間を忘れて読み耽った本、それは先回のワーキングプアの続編として今年の7月に出版されたばかりの“ワーキングプア:解決の道”。そしてこの一冊は、僕に数限りない衝撃と、一方では非常に価値のある多くのヒントを与えてくれた。この本と出合ってよかった。素直にそう思えた。紹介してくれた友人のKには心より感謝したい。 場所は韓国。今、韓国でも日本と同じように、ワーキングプアという現象が加速的に社会に浸透している。つまり、いくら真摯な思いで働いても収入がついてこないという社会現象、そしてその原因となる社会構造が隣国にも存在する。ご存じ、韓国はかつてNIESと呼ばれ、香港、シンガポール、台湾とともに、80年代に急速な経済成長を成し遂げた。だが周知の通り、その後1997年のアジア通貨危機が韓国の経済に致命的なダメージを与えたことは記憶に新しい。韓国は、国家破綻を逃れるために、IMFより210億ドルもの融資を受け入れ、首の皮をつないだ。そして、その時にIMFは支援の条件として韓国社会の徹底的な構造改革を要求した。それは「終身雇用制度にメスを入れ、雇用を流動化せよ!」というものだった。翌年韓国政府は、「整理解雇法」と「労働者派遣法」を導入。正社員を解雇するルールを制定し、一方で、それまで禁止していた人材派遣を認めるという規制緩和を行った。そして非正社員の数は昇竜の如く上昇した。2000年、その数は働く人の56.7%にまで上昇した。そしてその構造は今でも変わらない。つまり韓国の二人に一人“以上”が明日を保障されない世界で生きている。それが今日の韓国。 以前、僕は、「韓国という国」というレポートを書いた。多くの若者たち、あるいはその親たちが韓国の明日に希望を持てず、夢を海外に託すという趣旨のものだ。この社会的トレンドは上述したことからも裏付けが取れる。つまり、韓国国内で“安定した”職を見つけ、”安心”して生活を築くことが日々難しくなっているということだ。かつて、アジアのドラゴンと呼ばれNIESの一角を担ったあの時の社会全体の活況と成長を今韓国で見ることは難しい。このことは、韓国のグローバル社会に置かれたポジションからも読み取れる。そう、昨今の韓国の通貨ウォンの弱体化は、韓国経済の脆弱さを露呈していると言わざるを得ない。 では日本はどうか?今日、「終身雇用」という言葉を日本の企業から耳にすることは極めて稀といえよう。日本は韓国と同じ道を選んだ。グローバルの競争の中で勝ち残っていくには、企業としてはやはり利益を出せる構造を作ることが必須。そのために、隣国の韓国と同様、日本の企業は大手企業を中心に一気に派遣社員の数を増加させた。驚くなかれ、現在、その数は働く人の33%にまで占めるようになった。そう、日本で働く人の3人に1人は明日が約束されていないのが今日の日本。そこには、かつて一生を一社に賭けて働いたあの「終身雇用」の時代の面影はこの国にはもはや存在しない。 きっと、これを読んでいる読者の皆さんの中でHR(人事関連)の仕事に携わったことがある人は大いに違いない。僕自身もそうだった。皆さんはこの日本社会における派遣社員の増加をどう考えるだろうか?会社にとって派遣社員は必要か?それとも否か。 これは、簡単に答えの出る問題ではない。そもそも問題ととらえること自体、議論があることだろう。確かに、企業戦略的にはコスト削減により利益を捻出することは合理的な判断の一つと言える。更に、正社員も、派遣社員も、企業も、産業も、基本的には競争で成り立っており、勝ち上がるものと、そうでない者が出るのは資本主義社会の本来の姿、と論じることもできるだろう。でもそれは本当か? 今、イギリスでは面白い動きがある。それは職の安定しない若者たち、あるいは路頭に迷う若者たちに対し“手に職”を持たせるべく、資格の取得や専門学校への学費援助、就職の斡旋などを国が率先して先導しているという。イギリスは年々社会福祉に対する予算が削減される日本とは全く逆の道を歩んでいる。無論、イギリスの社会福祉に充てる額は日本の圧倒的に上をゆく。イギリスの考え方はこうだ。「もし若者たちが手に職をつけず、職もなく、ただフラフラしているような社会が現実化してしまったら、治安は悪化の一途をだどるであろう。そしてそんな社会を元の健全な状態に戻すためには膨大なコストがかかる。だからこそ、そうならないように今から動くことが必要なのだ。今日の投資は、結果的に最もコストエフィシェントなのだ」。 実は、NEETという言葉が生まれたのはイギリス。そう、かつてイギリスも日本や韓国と同じ道、同じ時代を経験している。イギリスは同じ道を再度歩まぬよう必死に今、若者たちに光を与えようとしている。 社会にはいろいろな力学が存在する。消費者、株主、企業、経営者、従業員とさまざま。消費者は、より良いものを安く購入する。株主は、株価の上昇を常に期待する。企業は、マーケットシェアの拡大、利益の捻出に奔走。従業員は給与の増加、職場環境の改善を、 派遣社員は正社員になることを夢見ながら職の安定を追い求める、と様々。これらの力学が共通した一つの答えを見つけることはほぼ不可能と言える。 だけど、僕はこう思う。 ”てめえ”だけがどんなに裕福でも、どんなに物質的に潤っていても、”てめえ”を囲む社会がつまらない社会だったら、その富にどれほどの価値と意味があるのだろう。僕は疑問で仕方がない。 このことを自分自身にも言い聞かせつつ、上述された全ての現実に対し、僕自身真正面からぶつかってゆきたい。 ミルトンフリードマンは、あの伝説の著書「選択の自由」の中で説いている。国家を当てにせず(小さな政府)、自らが責任を持ち歩むことが社会の繁栄につながると。でも、彼の言うその”市場”が解決できないものがあるならば、その時は、社会が解決しなければならないのかもしれない。そしてその社会の構成員は僕たちであることを忘れてはならない。 #
by ny_since1999
| 2008-12-13 15:22
2008年 12月 12日
テストやプロジェクトに追われていたけれど、一冊の本を読むことができた。それは、友人から前々から勧められていた“ワーキングプア”という本。これはNHKから2007年に出版された本で、ご存じの方も多いかも知れない。 本の内容は、日本社会の陰で必死に生きる貧困層の人たちの話。その中でも、地方で生きる人たちの想像を絶する貧困生活が本の中で克明に描かれている。僕は、この本を読んで人一倍共感するところが多かった。なぜならば、僕の生まれ育った地も全く同じ状況にあるからだ。かつて、日本全国で実行された公共投資。田中角栄氏に率いられた日本列島改造計画により、我が故郷新潟が大きな恩恵を受けたことは言うまでもない。公共投資により潤う雇用は、地元住人に多く形で“幸せ”を提供してくれた。 あれから幾年の月日が過ぎ去った。財政に窮する国は公共投資の削減を加速的させた。日本の多くの大手民間企業は、低い賃金を求め、生産地を次々に海外に移した。その影響は都会にいるとわかりえないが、地方に行けば一目瞭然だ。今日、地方社会には高度経済成長期に活況を呈したかつてのあの輝きはもはや存在しない。需要のない世界に生きる中小零細企業。一日一日を生きるのがやっとの家計。皆、生きるのに必死なのだ。そういった環境下、所得の加速的な減少に直面している人々の数は決して少なくはない。この本の中にも詳しく書かれているけれど、地方に行くと、先祖から伝わる家や土地を所有している人が多い。そしてそこには大きな問題が潜んでいる。実は、そういった所謂“財産”を所有していると、法律上、生活保護を受けられないのである。先祖から代代受け継いだ財産を売るにも売れず、現状を維持。だからこそ、信じられないような低い給与で生活していかなければならない。そういった現実に、耐えられず、自殺する人々が急増している。 繰り返すが、僕は“究極”の田舎で育った。大地は、どこまでも緑に囲まれ、その先には1500M級の山が大地を見守るかの如く立ちはだかる。春夏秋冬の変化は鮮やか。春の薫風、夏の活きた緑、秋の紅葉、そして冬は白銀の世界。 僕が生まれたころは、今日のように中国製の安い農作物は日本には侵入していなかった。作る農作物は、気持ち良いほどに売れた。米の価格も守られ(現在でも守られているが)、農家は今では考えられないほど経済的に潤っていた。農業ができない冬は、地元を離れ出稼ぎに行く。高度経済成長は、全国のありとあらゆる場所に雇用機会を創造し、出稼ぎの“行先”には苦労はなかった。一家の大黒柱のお父さんが出稼ぎから持ち帰る収入と農業から生まれる収入で、大きな一家は何不自由なく生活ができた。以前、都心で育った僕の友人が僕にこんな興味深い一言をつぶやいた。“農家はお金持ちのイメージがある”。彼が言っていたことは、あながち間違いではない。 でもそれは、今は昔。もうあの栄光はそこには存在しない。専業農家は姿を消し、兼業農家も先の見えない生活を送っている。 思えば、僕の中学校時代の仲間たちは今頃何をしているのだろうか。ちなみに、僕の中学校時代の同級生は80人いた。その中で大学に進んだ人間は、およそ5名±。現在、日本の大学進学率は45.5%ほど(2006年)に対し、僕の地元の大学進学率はおよそ6%で一割にも満たない(もちろん大学進学率自体が生活の安定の尺度にはなりえないが)。僕の同級生のほとんどが中学卒業後、あるいは高校卒業後、皆地元に残り職に就いた。建設会社、旅館、スーパー。同じ時代を生きた僕の仲間たちは、今地元で精をだして働いている。 地元に帰ったときに、時々耳にするが、やはり職を継続して維持するのは難しいらしい。本人の問題か、会社の問題かは分りかねるが、彼らは・彼女らは頻繁に職を変えざるを得ず、結果的に何もせずに家にいるというパターンが決して少なくないと聞く。現実は、やはり甘くはない。 日本とは豊かな国だと思っている人は沢山いるのではないだろうか。もちろん、世界の貧困に苦しむ国に比べたら、“平均”して遥かに、否、世界最高水準の生活をおくっていることは言うまでもない。だが、上述の通り、日々を生きることが精いっぱいの人々も多く存在する。これは、見過ごしてはいけない現実なのだ。 僕は、今、アメリカという地で贅沢にも2年もの”学ぶ機会”を与えられている。入学以来、世界から集まった多くの若者たちと知り合った。それこそ、貧困の地から這い上がってきた人々と知りあうことができた。そんな彼ら・彼女らとのインターラクションの中で、僕が学んだことは数限りない。そしてその生活も残り25%。僕は、もうすぐ卒業する。僕にとって、この2年の経験を如何に現実社会に還元して行くかは真剣に考えなければならない重要な問題だ。 そんなことを考えさせられた一冊となった。 #
by ny_since1999
| 2008-12-12 08:18
2008年 12月 10日
Venture Capital and the Finance of Innovationのテストが5:15p.m.に終了した。その瞬間、MBAの生活の75%が終了した。 英語には、“time flies”という表現がある。これは“時間”とは飛ぶように早く過ぎてしまうという意味だ。そしてこのTime fliesは僕のMBAの生活を正に物語っている。もう僕は、MBAの75%も終えてしまった。そしてあと25%を終え、6月に卒業する。 9月に始まった、このセメスターは決して楽ではなかった。先日もブログに書いたけれども、僕はこの期に通常に人より多くの科目を受講していたために、その分、他の人よりも時間の制約は大きかった。でも、面白いことに、昨年の同時期ほどの“追いつめられる感”はなかったといっても過言ではない。きっとその理由は、それだけ僕の体もこの生活に慣れたということと、語学力の成長、とりわけ読むスピードの成長があったからだと思う。 この75%を振り返ってみると、本当に多くのことを学んだ。もちろん、目から鱗があった一方で、これは全く役に立たないと思った内容もあった。でも、それが僕の将来ビジョンに対し、役には立たないと学べたこともそれはそれで価値のあること。つまり、75%を占める一つ一つのコンポーネント全てが僕には価値をなしているということだ。 これからおよそ1か月に渡る冬休みが始まる。これは学生の特権。だけど僕は暇をしているわけにはいかない。冬休み中にやりたいことが三つある。一つ、これまでMBAの“緻密”で“繊細”な世界に身を置いていたたが故、ゆっくり本を読んで世界、社会、未来、等々を考える時間を取れなかった。だからこの冬休みはできる限り本を読みたいと思う。できればこのブログにも紹介してゆこうと思う。もう一つは、中国語の勉強再開。この一か月でかつて学習したものを再度取り戻すべく、必死に走りたい。1月からは、学校でも中国語のコースを受講することが決まっている。それまでに僕の中国をブラッシュアップできれば、1月からはもう一つレベルの高いクラスから入れるかもしれない。次のレベルはアドバンストなので、受講はほぼ無理だけど、目標だけは高く置きたい。そして三つめとしてやりたいこと。それは実は随分と前から計画してきたこと。この場では控えさせていただきます。 以上 #
by ny_since1999
| 2008-12-10 23:22
2008年 12月 05日
我がラーニングチームのメンバーAlejandroがWhartonを去ることになった。といっても辞めるわけではない。Wharotnの交換留学協定を結んでいる海外のビジネススクールに交換留学するためだ。3Qは、イスラエルへ、そして4Qはスウェーデンのビジネススクールにて学ぶ。昨日は、彼のための壮行partyが開催された。もちろん、僕のチームは全員駆けつけ、彼の旅立ちにエールを送った。久々に全員がそろった。僕にとって、一生に一つしかない大切なチームだ。 半年後、彼はフィラデルフィアに戻る。 卒業式に出席するために。 そう、僕たちは半年後に卒業する。 Alejandro, see you again #
by ny_since1999
| 2008-12-05 14:36
2008年 12月 04日
今学期最後の授業が今日あった。 1、Investment Management 最初は、理論中心の授業かと一瞬履修に躊躇したが、実際は最も学びの多かった授業の一つになった。授業の他に5つのプロジェクトが課され、そのプロジェクトが非常に良くできていて、現実社会の動向と連動させたものを題材に分析する。また、これまでずっとほしかった情報のソースもいくつか手に入れることができ、僕としては満足のゆく授業だった。 2、New Advertisement Management Whartonには珍しい、HBS出身の教授。人柄もよく、和やかな授業が日々展開された。幾つものフレイムワークは授業を通して覚えたものの、正直学びは少なかった。ちょっと選択を間違えてしまった・・・ 3、Corporate Valuation 昨日のブログに書いたけれども、このクラスはWesselsが今年は教えていないため、仕方なく他の教授の授業をとることにした。随分と基本的なことをやらされたけど、やはり基本は大事。この授業から学んだことは実は極めて多い。受講して良かったと素直に思える。授業は前半と後半に分かれていて、 Simon Benninga, Oded Sarig がそれぞれ教えてくれた。二人は、Corporate Finance, A Valuation Approachの著者でもある。どちらの教授の授業も面白かったけど、とりわけSarigの授業はピカイチだった。彼の話す内容も極めてキレていたが、それ以上に彼の一つ一つの授業に対する情熱のようなものを日々感じることができた。Sarigの最後のクラスは、我々若者たちに対するこんな一言で幕を閉じた。 ”Improve economy” “世の中は、今悪いニュースばかりが流れているけれど、それを鵜呑みにしていては何も変わりはしない。その流れを断ち、より良い、明日、未来を創っていくのは君たちだ。”そういう思いがこもった心にずっしりと響く素敵な言葉だった。人間として非常に魅力のある教授だ。素直にそう思えた。 さて、いよいよテストが始まる。Last run.... to improve economy... #
by ny_since1999
| 2008-12-04 23:42
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アバウト
人生の日記です。 写真はシルクロードの玄関、西安から・・・。過去:日本を変えるために生まれた会社とともに生きる。現在:University of Pennsylvania The Wharton School 未来:アジア市場に夢を描く。 by NY_since1999 カレンダー
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